お知らせ
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作成日:2024/01/01
青い募金箱U



明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

私事ですが、例年同様、除夜の鐘の鳴るさなか、地元の神社に初詣をしました。(まさに神仏混合)
雨が心配されましたが、星や月もでて、寒くもなく、平穏に終わりました。
ただ、風が強く、境内のかがり火から火の粉が飛んでいましたね。
それも一興ですが。

青い募金箱の続き…
BS世界のドキュメンタリー
ディレクターのミハル・ワイツ氏が、曾祖父ヨセフ・ワイツ氏の日記を解き明かしすドキュメンタリー、2021年作です。
「青い募金箱」は、アラブ人の土地を購入するため、世界中のユダヤ人から募金を募ったときのイスラエル国旗を描いた募金箱です。

当初、ユダヤ民族基金を設立し、
アラブ人の地主から土地を購入し、ユダヤ人国家の礎を作ったとされるヨセフ・ワイツ氏
土地を追放されるアラブの小作人たちと対峙しながら、
内なる良心が、お前は長年この土地で働いてきた人々を無理矢理追放するのかと叫びます。
しかし、当時のヨセフ・ワイツ氏は、それが世の中だ、国家を築いたのは自分たちだ、自分たちは補償金を支払っていると無視します。
アラブ人の一層の抵抗運動に、目に見える既成事実が必要と、入植を始めます。
狭い地に二つの民族が住む余地はなく、アラブ人のいなイスラエルの地
アラブ人を全員移送する必要性を考えます。

イスラエル政府は、アラブ人追放後の土地をどう扱うか決めていませんでした。
ヨセフ・ワイツ氏は、アラブ人が帰還するあらゆる可能性を打ち消すために、
人がいない土地を接収し、入植する必要性を訴えます。
当時のイスラエル政府シャレット外相に面会し、
アラブ人を移送した後の話、難民の帰還をさまたげ、アラブ人の出国を既成事実とするための綿密な計画をたてる委員会設置の必要性を訴えます。
シャレット外相とは、アラブ人の出国を恒久的なものとする点で一致、
アラブ人排除、移送委員会の組織を設立します。
委員会の目的は
アラブ人の帰還阻止、領土の空白を埋めるためのユダヤ人の入植とともに
軍事的行動を伴う可能な限り多くの村の破壊
そして
アラブ人の他国への移住支援がありました。
初代イスラエル首相ベングリオンから実行に移すべきと1万イスラエルポンドを得ます。

日記では、アラブ人を追放した廃墟を前に、平然としている自分に驚くと綴られています。
それがこの世の道理だと、後悔も良心の呵責も感じなかったと綴られています。

イスラエル政府は、難民となったアラブ人の土地を接収し、平和が戻るまでの不在者財産管理人を任命します。

1948年12月、国連総会決議194号により、
希望するパレスチナ難民は帰国する権利を有すると認められます。
イスラエルの初代首相ベングリオンは、ワイツ氏を呼び、
「所有地不在の土地25万エーカーを、ユダヤ民族基金に払い下げる」といいます。
ワイツ氏は、
「土地の売却は、国際法にかなっているのか」とききます。
ベングリオン首相は、明確な答えをさけ、国境と周辺の村は我々がおさえる、とだけいいました。

つまり、土地の所有権を国際法の及ばない外郭団体に移すのです。
国有地が、ユダヤ民族基金に譲渡、全国に散在する土地を、今後は、基金が開発や植林を行うことになりました。
政府の指導者たちは、所有者不在の土地の国有化を永遠に合法化するために
さらなる手を打ちます。

1950年、イスラエル議会は、アラブ人の土地の接収を恒久的なものとする不在者財産法を可決します。
そうして、土地の管理者だったイスラエルは、所有者となり、
難民の帰還を阻止できるようになりました。
ユダヤ民族基金は、入植と植林、ヨセフ・ワイツ氏は、大植林計画(8千万本)を任せられます。
かくして、植林は、ユダヤ民族基金のシンボルとなりますが、
その目的は、
土地の支配を確かなものにし、戦争以前の状態に戻ることを排除するものでした。
森は、領土を守る兵士のようにそそり立っています。
荒野を花園に変えた物語ができあがります。

75万人のアラブ人難民の受け入れを、近隣国は拒み、難民の帰国の権利はないがしろにされ、
周辺の52のキャンプに集められました。

途中、当ドキュメンタリーディレクター、ミハル・ワイツ氏は、叔父や父、親族に、倫理的に問題があったのではないかと問います。

「向こうが始めた戦争だし、戦争とはそういうものだ。向こうが負けた。誰も彼らに貸しはない。」
「戦争中、アラブ人を追い出したことをいっているなら、1948年当時の世の中にいたら、同じことをするだろう。」

しかし、
双方に多くの血が流れ、ヨセフ・ワイツ氏は、
シャレット外相に、
アラブ人難民問題解決のために補償金の提案をします。

「難民問題は悪化の一途をたどり、自然に解決することはなく、憎しみと復讐心で、我々を締め付ける難民というくさりは、近隣諸国との和解を築くうえで障害となっています。
政府が、難民問題への立場を明言しないがために国益が損なわれています。
戦争に勝って、領土を得たという好都合な解釈に酔いしれて
長期的な思考が鈍ってしまったのです。
我々は、土地を手にいれたが、その対価を支払っていない。
アラブ人難民に対して、土地の対価を支払う義務がある。
人道的観点から補償金だけでも払うべきである。
ユダヤ人兵の血を流してまで、土地を手にいれようとするならば、
我々は、進んで対価を支払うべき、解決策を考えるべき」

しかし、その提案は受け入れられることはなく、
1965年、ヨセフ・ワイツ氏は、ユダヤ民族基金を退職。追放されます。
1966年ユダヤ人243.4万人、アラブ人40.6万人
1967年 第3次中東戦争
イスラエルは次々と戦果をあげていきますが、
ヨセフ・ワイツ氏の心は苦しく、
ヨルダン川西岸を併合するのは喜ばしくないという思いが強くなります。

「そんなことをすれば、この国は、帝国主義的な征服者の烙印を押され、
経済的、精神的、社会的負担が、我々だけでなく、あとに続く子や孫の世代にまでのしかかると思うと
やりきれない。
我々が、閉じこめられた迷宮に胸が痛む」

ひ孫にあたるミハル・ワイツ氏は、曾祖父ヨセフ・ワイツの5000ページにわたる日記から
苦痛に満ちた真実と、率直な感情を受け取ります。

このドキュメンタリーは2021年制作です。

個人と国家、
「国家に不可能はない」
ミハル・ワイツ氏は、ナレーションで、所有者不在の地をユダヤ民族基金に払い下げる過程の政府の動きを、そう描写します。

ニュースだけでは、見えてこない真実がほとばしっています。


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