お知らせ
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作成日:2023/12/10
青い募金箱T



BS世界のドキュメンタリーより、イスラエル2021年制作

ユダヤ民族基金の、土地、森林部門の責任者だったヨセフ・ワイツ、(イスラエルの森の父ともいわれる)の5000ページに及ぶ日記を、ひ孫にあたるミハル・ワイツが読み解くドキュメンタリーです。
先日、BSで2度目の再放送がありました。

ミハルの曾祖父ヨセフ・ワイツは、1890年、ロシア帝国に生まれます。
ヨセフは、18歳になると、ヨーロッパで激しさを増すユダヤ人迫害を逃れ、パレスチナの地に移住します。
1910年当時、ユダヤ人8万人、アラブ人65万人

「土地なき民に、民なき土地を」をスローガンに、
土地の開拓を始めます。
1932年、ヨセフは、ユダヤ民族基金の土地部門の責任者となり、パレスチナの土地を購入するため
世界中のユダヤ人から基金を募ります。
ユダヤ人国家建国の礎として、土地を購入し、植林をしていきます。
1933年、アラブ人が暮らす土地を手にいれるため、外国に住むアラブ人の地主から土地を購入し始めます。

当時、一帯は、オスマン帝国が支配していました。地主は、ベイルート、ダマスカス、カイロ等外国に住み、土地を小作人に貸して税をとっていました。
当初は、保証金を払って、アラブ人の立ち退きを迫っていました。
そのうち、ユダヤ人の入植に、アラブ人が抵抗を始めます。
激しい抵抗に、当時の統治国イギリスも鎮圧に失敗、
ヨセフは、国家建国には、既成事実が必要だと考えるようになります。
アラブ人との共存はうまくいかない。
アラブ人の全員を移送、後にヨセフは「移送計画の設計者」といわれるようになります。

1941年、ヨセフは、ヨーロッパのユダヤ人の殲滅の危機を感じていました。
ヨーロッパから迫害され難民となったユダヤ人を世界各国は受け入れ拒否…。

1945年、ナチスのユダヤ人虐殺が明らかにされ、
難民となったユダヤ人は、故国にも帰れず、
ヨセフは、パレスチナの地をさらに多く獲得しようと決意します。
その間、3人の息子たちは、イギリス軍入隊、又はレジスタンスとして戦い、イェヒアムという息子を亡くします。
  (イタリア⇒イギリスに修正、日独伊なので当然イギリスでした。)

1947年、11月29日、国連でパレスチナ分割決議案採択。
1948年、イスラエル国家樹立、
しかし、その後、アラブ人が戦闘を開始します。
エジプト空軍機の攻撃に多くの若いユダヤ人が従軍していきます。中には、亡くなった若者もいました。

このとき、ヨセフは、若者の死は、自分のせいではないかと考えるようになります。
敵が周りを囲むヨルダン川沿革地の入植は、将来、このような事態を引き起こすことに気づくべきだったのではないかと考えるようになります。
ヨセフのこうした心の変化は、息子イェヒアムの死が深く関わっているかもしれません。

現在も続くイスラエル、パレスチナ戦争、
多くの識者、記者の解説やドキュメンタリーがありますが、
「青い募金箱」は、イスラエル建国に力を尽くしたヨセフ・ワイツ氏の日記から、ひ孫にあたるミハル・ワイツ氏(ちなみに若い女性)が淡々と綴っています。

近年、日記から歴史を読み解くエゴ・ドキュメントが注目されています。
一人称で語られる物語は、胸に迫るものがあります。

本日は、国連が定めた世界人権デーです。

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